無病息災、病気治癒、健康長寿、災難除去、安産祈願をかなえてくださいます。
久桂寺の本堂には薬師如来さま(おやくしさま)がおまつりしてあります。
薬師如来さまは現世のご利益を頂ける仏様と言われており、左手には薬壷を載せておられますのがわかりますか。
薬師如来さま
https://www.butuzou-world.com/dictionary/nyorai/yakushinyorai/
檀家の位牌
久桂寺の檀家の代表位牌は本堂のお薬師さまの隣にお祀りされています。
☆室町時代後期の戦国時代。
上津橋の大池のほとりに僧兵を抱えた日甫山蓮華寺(れんげいじ、れんげじ)という大きな寺院があったそうです。1578年いまから400年あまり前にこの地域一帯は三木城藩領であったため織田家の家来の秀吉軍の三木城の攻撃の時に焼き払われてしまったそうです。この三木城の兵糧攻めはNHK大河ドラマの軍師官兵衛にも出てきましたね。かみつばし市民農園(れんげいじファーム)がある、畑の北エリアは「字堂の上」、南エリアは「字坂の上」として登記されています。 北エリアの「字堂の上」という地名は大池のほとりの大きなお寺のお堂があった丘の上ということなのしょう。
この 蓮華寺が焼き払われた百年程後の元禄16年(1703)、堂宇(本堂のこと)を造営し、香風山久桂寺(くけいじ)と改号し寺は享和の頃、愚門和尚(明石・龍谷寺第八世)が、久桂寺を龍谷寺和尚の隠居所としてから後、多くの代々の和尚の隠居寺となっています。無住の時期もあり詳しい伝記はありませんが久桂寺は明石西国八十八番の札所になっており、巡礼遍路の宿泊や湯茶の接待等、村人の奉仕が明治の始め頃まで続いていました。太平洋戦争中には若者が兵士として出征するとき当寺の墓山や花岡(慶明寺墓)、和坂の墓(明石)等と、7ヵ所の墓を夜中に巡って、その兵士や残る家族の無事を祈るという村の風習があったといいます。現在、久桂寺は平野町中津(上津橋)の集落の中央にあります。
詳しくは「上津橋里づくり計画書」をご覧ください
三木合戦:Wikipediaより